タイトルなし

本日はIT技術・ビジネス的な話題から離れて、言論の自由について。

本日たまたま見つけた記事なのですが、このようなものがありました。

 質問サイト、「Yahoo!知恵袋」で「『ひぐらしのなく頃に』って、そんなに悪影響を与える作品でしょうか?」という質問がされ、多くの回答が寄せられた。 <<中略>> 女児は、同作について、「確かに血の流れるシーンはあるけれど、『ひぐらし』は殺人を否定する作品だと思っています」と、悪影響はないときっぱりと否定している。・・・...............引用元『『ひぐらしのなく頃に』は悪影響与える?と女児質問』Link アメーバニュースより

これについて、記事の発端となると質問の回答の一つで述べていらっしゃるように、本来は誰かがどう思うかという問題ではなく、自分がどう感じるかが大切なはずです。ところが、ここ最近日本では社会がここの作品、あるいはジャンルを抑圧する光景が目立つようになってきました。痛ましい事件が起きた際に、被疑者がそういった作品を読んでいたりすると、そこだけがクローズアップされることも少なくありません。確かに、それらはかなり一般の方からすればパッと見で受け入れがたいものであることもすくなくはないでしょう。しかし、だからといってそれを簡単に抑圧してしまってよいのでしょうか。

もちろんそれらが、公共の不特定多数の人々の目の見えるような場所での公開ならば、それを防ぐ必要があるでしょう。しかし今回の件では、あくまでも個人の責任により自ら好んで選択してそのような作品を手に入れているわけです。もちろん、パッケージという形では不特定多数の人々の目に触れるところにあることもありますが、たいていそういったものは通常の売場と離れていることが常ですし、その表現も加減されています。

それにもかかわらず、社会の一部の同意だけでこのような言論統制をしていると、いずれ戦時中のような強硬な言論統制にも発展しかねません。もちろん。年齢などで制限をかける必要は出てくるでしょうが、自分が気にくわないから、自分たちはどうでもいいからといった理由だけで、そういった抑圧をする事には非常に危険が伴います。そう、言ってみれば天動説全盛期に、地動説論者が弾圧されたのと同じ状況なのです。

そして、何より今回の例の『ひぐらしのなく頃に』に関する質問のように、その作品について全く知らないまま、見た目だけで嫌悪し抑圧しようとすることも論外です。「君主論」が良い例で、それが執筆された当時は周囲から非難されていましたが、後々それをきちんと理解した研究者から支持されるまでになりました。本当にそれが害となりうるかも論せず、ただ刺激が強すぎるからといった短絡的な理由でそういった作品をつぶしていく行為は、いずれ歯止めが利かなくなり国家ぐるみの言論統制社会をも呼び起こしかねないのです。

自由とはそれを享受する責任も同時に生ずるのです。クリエイターの方々には周りに流されず、自分の確固たる意志を持ってそういった社会のゆがみを乗り切ってもらいたいと思います。また、我々もただ表面を眺めただけで、作品の良し悪しを判断するのではなく、きちんと内容を判断した上でどうしても必要ならば、制限なり何なりを検討すべきでしょう。

— posted by YamaKen at 12:08 am   commentComment [0] 

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